最高の飯

生き物はみな飯を食べて生きている。しかし人間とほかの生物で食欲という言葉の意味は変わってくる。何かの番組でやっていたのだが、どうもおいしいものを食べたいと思うのは人間だけらしい。

ほかの生物たちにとっては「生きるための」食欲、我々人間はおいしいものを食べたいという食欲。人っていうのはとんだわがまま生物だなとその番組を見て思った。ただ私もそのとんだわがまま生物の端くれであるので、この世で最高な飯を食いたい。

「よし、最高な飯を今から見つけよう。」そう今年の7月初めに思った。ところが、これはおそらく最高なのではないかという飯がすぐに見つかってしまった。ただこの仮定的な言い方からわかる通り、私はまだそれを食べることができていない。

その最高の飯というのは阿部一二三、阿部詩兄弟が東京オリンピックにて兄弟で金メダルを取った日のである。偶然テレビで二人がメダルを取ったところを見た際にハッとした。こんな素晴らしい出来事の後の飯なんてうまいに決まってんじゃん。これはたぶん何が出てこようが、私の人生では味わうことができないような飯を食っているに違いない。そもそも兄弟で金メダルを取ること自体、とんでもない出来事だが阿部一二三さんは何年か前の代表選考に一度落ちたことがあった。

つまり今回のメダルは挫折からの金メダルである。そんなの飯がうまくなるに決まっているではないか。何なら応援していた人たちの飯もうまくしていると思う。

ただこんな飯を食うには阿部一二三、詩さんのように一生懸命何かを成し遂げなければ絶対に食うことのできない飯である。つまりこの話は、何事も一生懸命に頑張ることが必要だよねというありきたりな結論で幕を閉じることになる。